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どうして駅の発車メロディはメロディなのか?


東洋経済ONLINEに、無意味で過剰な注意放送があふれる日本の公共空間について取り上げた記事が載っていました。哲学者の中島義道氏が30年間も闘ってきたという問題です。駅のホームのアナウンス、エスカレーターのご注意、テープで流れる「いらっしゃいませ」など、無自覚に垂れ流すお節介な音について訴えています。それらの音に対する同じようなぼくの気持ちは、2011年の「お節介な未来」に書いています。

最近、話題にならなくなった駅のホームの発車メロディ。いまでもJR東日本や準公営のりんかい線などは、メロディを大音量で流しています。発車メロディの前は、発車ベルだったわけです。ところが1970年代後半から、そのベルの音が耳障りでうるさいという乗客が多くなった。そこで1989年、JR各社の前身、日本国有鉄道では新宿駅と渋谷駅のベルをメロディに変えた。その後、それが好評で管内の多くの駅で採用し、「山手線の全駅違うメロディでーす」などとドヤ顔することとなる。

ぼくはこの発車メロディが不快です。無機質なベルなら一過性の音ですが、メロディは情緒的にしばらく頭に残ります。それが好きでもないメロディなら、ほとんどは好きではありませんが、最悪です。発車ベルが耳障りだという意見が出てきた時、発車の注意を促すベルだから、ほかの音と紛れない音なのは当然だと考えなかったのか? そもそも発車ベルが必要かどうかという根源的な問題に立ち返って検討しなかったのか?

日本にも発車ベルのないホームはあります。日本の正確な運行スケジュールに沿って、時刻になれば静かに走り出します。それでもそれに苦情が来ることはない。苦情が出ているなら、ベルをメロディに変えたように対策を施すはずですから。目や耳が不自由な人にとっても不自由や危険がないのでしょう。乗客個人個人が発車を意識していれば、メロディをあんなに大音量で流す必要はありません。

中島氏は「日本で『お節介な注意放送』が流れる根本理由」で、「それは日本人の他人に対するやさしさや思いやり」だと言っています。 「ベルが耳障りなら軽快なメロディにしよう、乗り遅れないよう発車の合図は必要だしね」 でも、それはお節介です。おそらく少数ですが、同じように思っている人もいるようです。少数のわがままだと片付けられてしまうことのようですが。

まあ、多くの人は発車メロディに無関心なんだと思います。メディアにも取り上げられないし、そのことを友人に話しても「ふーん。どうしてそんなことが気になんの?」で終わります。ぼくは中島氏のように「闘争」したことはありませんが、発車ベルに限らずお節介な音に無関心ではいられないし、機会があれば発言しています。いまのところぼくが感じる「変化」はありませんが。


おまけ:
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画像: Jim Barker on Visual hunt / CC BY-NC-SA